こんにちは、リカ(@rika3hakase)です。
4月になり、暖かさも増してきました。
しかし、引き続き自粛が求められる毎日ですね。
実は、広島に住む母が発熱し、コロナウイルスの検査を受けることになりました。
今は連絡待ちで、検査をして陰性がわかるまでは、外出できません・・・
明日には検査ができるそうなので、早く結果が出てほしいと願っています。
心配はしておりますが、感染している可能性は非常に低いのでおとなしく待ちます。
(↑無事でした(*´∇`*))
さて、今日も引き続き、タレブの著書「反脆弱性」についての考察を進めたいと思います。
今日の内容は、【理論よりも現象を重んじるべき】というものです。
今のコロナウイルスに対しても、理論で対応することは非常に難しい状況です。
もう、人と人が接触しない、という方法をとるしかない、という拡散の機会を避けることしかできません。
これからの世の中でも、理論で分かっていることより、経験から学んだ知恵のようなものの方が生きるためには有益だとタレブは主張しています。
例えば、「知識」には2種類あると言っています。
まず、世の中で重んじられてる、体系だっていて、主に文字や文章によって成る知識です。
しかし、文字や式で表されるものごとなんて、世界のごくごく僅かでしかありません。
そして、理論というのは文字と文章、数式によって構成されます。
つまり、世界が「理論」で語れるというのはありえないということです。
2つ目の知識は、日本人のいう「知恵」にあたり、経験則からなる理論の不明なものです。
タレブは著書のなかで、あまり重要視されない知識の部類になるが、コチラが本質であると主張しています。
この話を読んで、理論ではなく、現象から学んだことの積み重ねのほうが世界をありのままに包括しているのだなと理解しました。
今まで私は、「知恵」は、結局、理論的に不明点が多く、一般化したり応用ができず、
世界のごく小さな一部しかわからない、取るに足らない存在だと思ってきました。
しかし、そもそも現実世界に応用できる「理論」などというものが世界のかすかな点のみしか表していない、
むしろ、世界をこれっぽっちも表していないものだということに気づきました。
知恵と理論の応用範囲は、世界の中で見れば誤差程度で、理論に至っては実用前に破綻するものが非常に多いということです。
たしかに、気がついたら博士課程まで修了するほど科学に対して知識や理論を勉強してきましたが、日常生活ではその知識や理論は全く役に立ちません。
(少なくともわたしの場合は…)
現実世界に即して無いのです。
研究者や博士がある意味で何も知らない、とよく言われる所以だと思います。
これまでは、大学の研究は国家や世の中の発展のために非常に大切なものだと信じて止みませんでした。
確かに、ごく一部はそうかも知れません。
しかし、私の知る限り、大部分は、「鳥が飛び立つ瞬間を観察して鳥を飛べるようにしたぞと発表している状況(著書の表現より)」と何ら変わりません。
実際に、ノーベル賞が授与される一つの基準として、実用化されているかどうか、というものがあるそうです。
これまで私が知っているものを思い返すと、理論ではなく、現象から何かを明らかにして実用している例がほとんどでした。
たとえば、
・カミオカンデを作って実際に新しい粒子を見つけた東大の小柴先生
・島津製作所で非常に小さな質量を測定できる機会を開発した田中さん
(田中さんが開発した機械は、実際に私も実験で使用してました。)
・iPS細胞を連日のトライ&エラーで見つけた山中教授
たしかに、理論でノーベル賞を受けている人もいるので、現象ばかりではもちろんありませんが、これまで意識したことがない側面に共通性を見出し、驚きました。
読書はこのように、ものの見方を新しく提案してくれます。
お家でこもりがち、かつ、事態が読めない今こそ、おすすめの書籍です。
ナシーム・ニコラ・スタレブ著
反脆弱性 上
それでは、また。
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